死者・行方不明者あわせて1万8,428人となった、東日本大震災から9年。
大切な人を失った家族は、どのような思いで、きょうという日を迎えたのか。
東日本大震災から、3月11日で9年。
亡くなった人は、1万5,899人にのぼり、今も2,529人が、行方不明のままとなっている。
震災で637人が犠牲となった宮城・山元町。
あれから9年となる節目を、特別な思いで迎える夫婦がいた。
津波で長女を亡くした大久保三夫さん(67)と妻の恵子さん(62)。
大久保三夫さん「亡くなった日だけど、天気もいいし、外に出すよって、断って持ってきたんですよ」
胸に抱いていたのは、娘の遺骨。
一緒に墓前を訪れたのは、3月11日のきょうが初めて。
あの日、一人娘の真希さん(当時27)は、勤め先の自動車学校で津波にのまれ、犠牲になった。
しかし、その後の捜索でも、遺体は見つからないまま。
大久保三夫さん「7~8回潜ってやってもらったので。近くの海、怪しいところ全部やってもらって」
娘の帰りをひたすら待ち続けた大久保さん夫婦に、その知らせが届いたのは、震災から8年半がたった2019年10月のことだった。
大久保三夫さん「まさか、あんな形で帰ってくるとは思わなかったんですけど」
大久保恵子さん「びっくりしすぎた。でも、やっと会えたんだなっていうのは本当に実感なんですけどね。最初は本当に、まだ信じられなかったから」
山元町の沖合6kmほどの場所で、漁船の網にかかった骨が、真希さんの下あごの部分と確認された。
実に、8年7カ月ぶりの再会だった。
両親は、見つかった遺骨を、まだお墓には納めていない。
大久保恵子さん「暖かい家の中に置いといて、一緒にしばらく暮らそうかってね」
こうして一緒に過ごすうち、両親は、自分たちの変化を感じるようになった。
大久保恵子さん「今は本当に、震災前の昔の私たちの顔かな」
2人が訪れる場所は、もう1つ。
真希さんが最後にいた場所、自動車学校の跡地に立つ慰霊碑。
大久保さん夫妻「(いつもコーヒーをお供えするんですか?)ここに来る時は必ず。寒いから温かいコーヒーを」
真希さんが好きだった缶コーヒー。
大久保三夫さん「一緒に飲もうか」
訪れるたびに一緒に飲むのは、決まって同じ銘柄。
もう1つ、真希さんが好きだったのが花。
慰霊碑にも、赤やピンクの花が供えられている。
ピンク色のバラの木と一緒に写る真希さん。
実は...。
大久保恵子さん「どこで写真を撮ったんだろうと場所を探して、同じポーズして、こうやって撮って。別の楽しみを覚えたんだよね。思い出の場所めぐってね」
遺骨が戻って初めて迎える節目の日。
2人が取り戻した笑顔のように、慰霊碑の前では、大好きだった桜の木が、まもなく花開こうとしている。
(仙台放送)
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March 11, 2020 at 07:28PM
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