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Friday, December 3, 2021

【ラグリパWest】えげつないステップ。江口剛 [東福岡、京産大OB] - RUGBY REPUBLIC(ラグビーリパブリック)

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 えげつないステップを踏んだ。
 真横に飛んで、相手をかわす。ストライドは大きい。「外国人」と評する人もいた。

 江口剛は記憶に残る選手である。名はひらがなでは「ごお」と書く。

 天才肌。だから、はちゃめちゃな部分もあった。京産大時代、台風で氾濫している川にサーフボードを持って走った。
「いい波が立っていました。でも顔を打って鼻血が出た。波には乗れませんでした」
 一発ずつ殴り合いながら飲んだりもした。
「酔っているからわかりません」
 逸話には事欠かない。

 26年前、ワールドカップに指がかかっていた。南アフリカ大会だ。
「松田さん、今泉さんに何かあれば…」
 フルバックは松田努と今泉清。2人は日本代表キャップを43と8を持つに至る。

 江口は大会1年前の1994年、京産大2年で関西代表に選ばれていた。関西、関東、九州の三地域代表は当時、日本代表の下に位置した。U23日本代表にも入った。

 172センチ、70キロの体ながら、フル代表に届きかけたのは、福岡・城南中時代の練習がベースにある。
「テレビで見た吉田さんの練習をしました」
 吉田義人は日本代表キャップ30を持ったウイング。左から右、右から左へと横跳びをしながら70メートルほどを行った。

 江口が競技を始めたのは小1。父の転勤先の大阪である。豊中ラグビースクールだった。野球チームには中学年からだった。小4で福岡に戻り、草ヶ江ヤングラガーズに属する。城南中には谷崎重幸が誘いに来る。東福岡、今は新潟食料農業大の監督である。

「僕はヒガシの記録を持っています。4月の入学前にレギュラーでした」
 東福岡は3月、大分・別府で春合宿をした。長崎北との試合でスタンドオフに起用される。ハーフ団を組んだのは2学年上の鬼束竜太。ノンキャップの日本代表であり、今は立命大のヘッドコーチである。

 パナソニックにいる布巻峻介も東福岡で1年からレギュラーだった。日本代表キャップは7を持つ。
「シュンスケの背番号は春、2ケタでした」
 フランカーのそれはリザーブを意味する。布巻はかしいヤングラガーズ出身。江口はその指導員だった。

 東福岡で花園には2回出た。1年時の70回大会(1990年度)は2回戦敗退。島本に9−10。ナンバーエイトは藤田雄一郎。現監督である。3年時も2回戦敗退。東農大二に17−22。チームとしては4、5回目の出場。今は32回にまで伸びた。優勝を歴代4位の6回とする基礎の時期に江口はいた。

 京産大ではバックスリーのスポーツ推薦枠を仙波優(まさる)と争った。当時、監督だった大西健は覚えている。
「仙波は話が来るのが遅かったからね」
 江口は苦笑いをする。
「大西先生は酔っぱらったら、仙波の方がよかった、って言います」
 強さと速さを兼ね備えた仙波は関東学大からトヨタ自動車へ。1998年秋、ワールドカップのアジア予選に招集がかかる。翌年11月27日、突如世を去った。自動車事故だった。

 東福岡から最初の部員となった京産大では、1年からフルバックで正位置をつかむ。3年ではFWを7人で組むセブンエースの中心にいた。
「京産はスクラムが強かったですから」
 フランカー登録で試合には出たが、ラインに自由に参加した。冗談を口にする大西も江口の能力の高さを認めていた。

 京産大では猛練習の洗礼を浴びる。
「朝、雲ケ畑まで走りに行くんです。山道の往復で20キロくらいでした」
 いつも、パンツのポケットに小さい飴を2つ3つ忍ばせる。のどの渇きを抑えるためだった。当時、給水はご法度だった。
「その飴玉が重く感じてくるのです」
 日々、疲弊しっぱなしだった。

 関西リーグは2年の優勝以外は2位。大学選手権には4年連続で出場し、4強2回である。1年時の30回大会は法大に19−28、次の31回大会は明大に15−33だった。

 京産大では3年上に吉田明、1年上に廣瀬佳司、1年下に大畑大介がいた。日本代表キャップはそれぞれセンターで17、スタンドオフで40、ウイングで58。吉田は日本文理大のコーチ、廣瀬は現監督、大畑は坂田好弘に次ぎアジア人2人目のラグビー殿堂入りを果たす。江口はそうそうたる顔ぶれの中で4年間を過ごした。

 卒業後はワールドに入社。4年間、在籍する。その後、より高いラグビーを求めて、海外放浪に出る。ニュージーランド、フランス、ウエールズ、旅の終わりはニュージーランド。資金難で帰国。2004年から4年を九州電力で過ごした。33歳で現役引退する。

 今は食肉加工会社に勤務。輸入したハムやベーコンに手を加え、小売店や飲食店に卸す。福岡市の沖に浮かぶ能古島(のこのしま)で九条ネギを栽培したこともあった。

 ラグビーの縁は今でも切れない。東福岡の付属中学、自彊館(じきょうかん)でコーチをしている。監督の宮田耕太郎が呼んでくれた。宮田は城南中での恩師である。

「人生、楽しいですよ」
 母校は関西リーグの23年ぶり制覇をほぼ手中にしている。
「OBとしてうれしいですね。僕の卒業した2年後が最後の優勝ですから」
 江口のそばには今もラグビーがある。

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