この冷たい世界を「女性」として生きること
デビュー以来、一貫して女性たちの困窮や怒りを書き続け、現代社会のさまざまな問題を浮き彫りにする作家・桐野夏生さん。平凡な主婦4人が自由を求め日常から離脱していく物語『OUT』をはじめ、数々の話題作が映像化や舞台化もされています。今作の主人公・大石理紀は29歳、地方出身、非正規労働者の独身女性。彼女を通して見えてくるのは、若い女性たちの貧困、生殖医療の最前線。桐野さんがこの作品に込めた思いをお聞きしました。 聞き手/永江 朗
生殖医療の進化と取り残される女性の心
―桐野さんの作品の主人公は、その時々の社会を色濃く映しており、桐野夏生の小説によって、我々は自分がどのような時代に生きているのかに気付かされます。今回、女性の貧困や生殖の問題をテーマにしようと思われた動機はなんでしょうか。
この10年近く、少子化問題が取り上げられる度に、若い女性たちに圧力がかかっていると感じてきました。最近では「卵子が老化する」ともいわれるようになり、女性たちはさらに焦ってきている。一方で非婚化の問題もあり、「結婚もせずにどうやって子どもを産めというのか」と追い詰められる世代について考えていたときに、ニュージーランドでは3割が未婚の母であるとか、フランスにしても出生率は下がっていないことなどを知り、これは日本の戸籍制度が一つの弊害になっていると思ったんです。「生殖とはなんだろう」と調べ始めたら、世界の生殖医療はとても進んでいることがわかりました。ただ、技術は進んでも女性の心の問題や制度は追いついていない。貧困国の女性たちが代理母として出産を担っている現実を知ったときに、「これは日本でも起こりうる」と思い、この小説を書きました。
―2000年続く「父系社会」の歴史を否定するともいえる小説ですよね。
その通りだと思います。書き始めた当初は、「どうしても遺伝子を残したい」という男性の在り方がよくわからなかったのですが、自分の財産が自分の死後、誰に相続されるのかという問題もあるのだと、書いていく中で気付きました。でもそれは、昔からよくある話ですよね。天皇制の問題でも「男系継承」の話が常に取り上げられ、日本社会の中にある男系幻想は連綿と続いているのだと気付かされました。生殖医療の問題は大きな制度の問題もはらんでいるのだと思い、書いていて恐ろしくなりました。もしも世界中の女性が反旗を翻したら、この世界には男性も生まれなくなる。少子化、無子化といわれて久しい日本はすでに、その危機に瀕しているのかもしれないですね。
無残な世界に入り込み社会の冷たさを書く
―主人公リキの設定は巧みですね。北海道の短大を出て、地元で働いて蓄えた貯金もありながら、東京で貧困にあえいでいる。
決して最底辺ではないですよね。もっと貧しい人もいるでしょう。でも、ある程度普通に育ち、地元で短大や四年制大学を卒業し、貯金もある人たちが、東京に出てくると貧困層になってしまう、その現実を書かなければと思いました。これは女性に限らず男性にもいえる問題です。就職先もなく、寄る辺もなく、非正規労働者として生きている。「貧困は自己責任」と切り捨てられてしまう、冷たい社会ですよね。
―冷たい社会を書く時の作家とは、どのような気持ちなのでしょう。
私の場合、社会正義を掲げて書こうなどとは思っていなくて、むしろその冷たい世界の中にどんどん入り込んでいって、無残な冷たさを登場人物たちと「一緒に浴びましょう」、という感じですね。時代を書いているのかどうかはわかりませんけれど、やはり自分が感じる、この社会のどこかで問題を抱えて生きている人、何かに悩み苦しんでいる人を書きたいのだと思います。そして、その悩みの裏に何があるのだろうと考えていくと、何かが見えてくる。そういうものを自分で書くことで納得したいだけなのかもしれません。
女性であることに希望と肯定感を
―話題作『OUT』から25年、世の中は何が変わり、何が変わらなかったでしょう。
この25年で、女性たちは悔しい思いもずいぶんしてきましたが、ジェンダーについては、男性も含め大きく認識が変わったとは思います。ただ一方で、日本の社会全体はどんどん内向きになっているとも感じていて、自分たちがどれほど世界に遅れているか、気付いていない人たちもたくさんいるし、変わっていないと感じることもたくさんあります。
―これからの25年に希望を探すとしたら?
結婚を選択しない人や、子どもを持たないという選択をする夫婦も増えていくでしょう。そう考えると、子どもってなんだろう、子どものいない社会ってどうなるんだろう、みんな一人でどこへ行くんだろう、という興味があります。こうしている間にも、世界の生殖医療は発展し続けて、アメリカのある州では代理母が認められたり、ゲイのカップルが他人の卵子で代理母出産により子どもを持つこともできるようになっている。そうなると今後、子どもの権利はどうなっていくのでしょうね。全人類的な生殖の実験はもう始まっているのではないでしょうか。妊娠出産という意味で女性は時間的な切迫感のある悲しい肉体を持ってはいるけれど、それでも「産む性」というのはあらゆる意味で肯定感のある存在だと思うんです。この小説の結末に希望を持たせたように、女性たちは25年先もたくましく生きていくのではないでしょうか。
桐野夏生さん/1951年生まれ。98年『OUT』で日本推理作家協会賞、99年『柔らかな頬』で直木賞、2003年『グロテスク』で泉鏡花文学賞、04年『残虐記』で柴田錬三郎賞、05年『魂萌え!』で婦人公論文芸賞、08年『東京島』で谷崎潤一郎賞、09年『女神記』で紫式部文学賞、10年、11年に『ナニカアル』で島清恋愛文学賞と読売文学賞、21年早稲田大学坪内逍遙大賞ほか受賞歴多数。15年には紫綬褒章を受章。21年日本ペンクラブ第18代会長に選出され、女性初の会長となる。
企画・制作/東京新聞広告局
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