流麗なスタイリングと大馬力で勢いのあった1970年代のアメ車。そんな時代を象徴するダッジチャレンジャーが大活躍するのが、映画『バニシング・ポイント』だ。この名作が4Kリマスターされて劇場に帰ってくるとなれば、これを見逃す手はないぞ!!
文/渡辺麻紀
■多くの作品に影響を与えたアメリカン・ニューシネマ
かのクエンティン・タランティーノが、本コラムでも紹介した『デス・プルーフin グラインドハウス』(2007)でありったけの愛を注いだ映画、『バニシング・ポイント』(1971)。車ファンにとっては必見の作品が4Kデジタルリマスター版で、何と50年ぶりにリバイバル公開される。
なぜ必見かと言えば、主人公コワルスキー(バリー・ニューマン)が駆るクライスラーの白い1970年製ダッジ・チャレンジャーR/Tがめちゃくちゃかっこいいからだ。
車の陸送を生業にするスゴ腕ドライバーのコワルスキーが、時速250kmが出るというこの車をコロラド州のデンバーから、1200マイル(1931km)離れたカリフォルニア州のサンフランシスコまで、わずか15時間で届けるという賭けをする。そこでコワルスキーはドラッグをキメて、西部劇さながらの大地を凄まじいスピードで駆け抜けるのだ。
当然、スピード違反なわけだから白バイもパトカーも数を増やしながら追いかけてくる。が、止まって何ていられない。ブレーキを踏み込むことなどなく、ハイウェイを逸れて荒野の道なき道を砂を巻き上げながら爆走し、再びハイウェイに戻ってまた疾走する。
車を止めるのはガソリンを入れるときと、並走して事故った車の様子を確かめるときだけ。道路工事中の標識さえ無視してひたすら走り、走りまくる。白い車と人間が一体となり、砂漠のハイウェイをフルスピードで走行する姿が驚くほどクールだ。
警察にはチャレンジャーの情報が入り、ドライバーのコワルスキーの身元も公になる。警察の無線を傍受した人気の黒人DJがラジオで彼をバックアップ。ジミー・ウォーカーやマウンテン、デラニー&ボニー等の当時人気の高ったロックを流して、彼のドライブを盛り上げてくれる。
そして、いつの間にかコワルスキーは「地上最後の自由な魂」と謳い上げられるまでになってしまうのだ。
が、だからといっていい気になるコワルスキーではない。ほぼ喋らず、DJの賞賛にも無関心。ときおり出会う人たちとの短い会話で、自分の過去に思いを馳せる。
ベトナムで戦ったこと、そのあと警官になり、セクハラ上司をやっつけたことでクビになり、バイクレーサーからストックカーレーサーを経験し、恋人を失ったことも。
その出会う人間と車は、ガソリンスタンドの魅惑的な女性や、チャレンジャーにスピードチャレンジする、使い込まれたジャガーEタイプのコンパーチブル。ドライバーはこれでもかとコワルスキーを煽り立てる。
■印象的なヌードライダー
もう一台は、砂漠のハイウェイで立ち往生している1955年型シボレーの2-10タウンズマン・ステーション・ワゴン。このときは車を止めて助けてやろうとするコワルスキーだが、その車に乗っていたゲイのカップルがヤバかった!
また、砂漠の真ん中でガラガラ蛇を捕らえる老人や、ガソリンを譲ってもらうために立ち寄った砂漠の家には、何とフルヌードでバイクにまたがる女性(ファンの間ではヌードライダーと呼ばれている)まで。
このバイクは1968年のホンダCL350スクランブラー。コワルスキーを助けてくれる彼女の恋人らしきヒッピーのバイクは『イージー・ライダー』(1969)で大流行したハーレーダビッドソン・パンヘッド・チョッパーだ。
その一方で、コワルスキーのこの旅には彼のようなアウトローと、彼を讃える黒人DJを毛嫌いする保守的連中や、砂漠で歌に興じる怪しげな新興宗教っぽい集団も登場して、当時のアメリカの空気とカルチャーが凝縮されている。
「消失点」というタイトルの由来となっている衝撃的なラストまで、まさにアメリカン・ニューシネマ×ロードムービーのお手本のような作品になっている。
後に、イギリスのロックバンド、プライマル・スクリームが映画のタイトルを冠したアルバム『バニシング・ポイント』をリリースし、1997年にはリメイク版となるTVムービー『バニシング・ポイント 激走2000キロ』も作られた。多くの人を熱狂させたカルト的な映画でもあるのだ。
そしてダッジは、この映画のあとも、ピーター・フォンダが強盗に扮した『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』(1974)でアウトローが爆走する車として登場し、そのスピリットは『ワイルド・スピード』のドミニク(ヴィン・ディーゼル)にしっかりと受け継がれている。
もしかしたらダッジは、『バニシング・ポイント』のおかげで、アメリカン・アウトローにもっとも似合う車になったのかもしれない。
●解説●
車の陸送をするスゴ腕のドライバー、コワルスキーの次なる仕事は白いダッジ・チャレンジャーをデンバーからサンフランシスコまで届けること。実際は2日の猶予があったのだが、友人と賭けをして15時間でサンフランシスコに行くと宣言。ドラッグの力を借りて車を走らせる。
メガホンを取ったのはロバート・アルトマンの助手を務め、『野にかける白い馬のように』(1969)で長編デビューを飾ったリチャード・C・サラフィアン。
監督のコワルスキー役のファーストチョイスは『フレンチ・コネクション』(1971)のジーン・ハックマンだったが、紆余曲折を経て当時は無名だったバリー・ニューマンに落ち着いた。
製作費はわずか130万ドルだったためか、ダッチ・チャレンジャーは1日1ドルでレンタルしたという。撮影ではこれを8台使用し、最後まで残ったのは1台だったというが、その酷使っぷりは映画を観ればよくわかる。
ちなみに、このチャレンジャー、クライスラーの426 hemi V8と言われているものの、実際に搭載していたのは440キュービックインチ(7210CC)のV型8気筒エンジン。どうもこちらが正解のようだ。
また、のちに『愛の嵐』(1974)に出演してブレイクするシャーロット・ランプリングが“Deth”という名前のヒッチハイカー役で出演していたが、アメリカではこれをまるまるカットした99分版、イギリスではそのシーンを含む107分版が公開され大ヒットした。今回の公開はアメリカ版になる。
ちなみに、本作で有名になったホンダバイクのヌードドライバー。ギルダ・テクスターという本作がデビューとなる女優が演じているのだが、彼女は同年の1971年に本作を含む3本の映画に出演。そのすべてが全裸だったというから、いかにこの映画の印象が強烈だったかが判る。
とはいえ彼女、その後、二度と映画には出演せず、裏方のコスチューム担当として活躍。『グリーンマイル』(1999)や『ロンリーハート』(2006)等を手掛けている。
『バニシング・ポイント』
3月3日(金)よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー
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