8月15日は日本人にとって特別な日である。それは、この日が「終戦の日」であるというだけではなく、ちょうどお盆にあたるからだ。お盆、つまり仏教でいう盂蘭盆会(うらぼんえ)は、祖霊信仰という日本の古い信仰と仏教の融合によるいかにも日本的な習俗である。お盆には死者の霊がそれぞれの家に戻ってくる。生者とのほんのわずかな魂の交流を終えて、8月16日までには死者は「あの世」に戻ってゆく。このわずかな期間、死者は生者とともに過ごし、生者は死者を偲ぶ。
「終戦の日」がお盆と重なることによって、われわれは、あの戦争で命を落とした幾百万にのぼる死者たちを偲び、改めて哀悼の意を表する。そして、死者の無念の魂に仮託して、あの戦争の意味を自らに問い直すのである。
少なくとも昭和の時代にはそうだった。「終戦の日」とは、何よりもまず、生き残った者やその子孫が、死者の魂に触れる日であった。8月15日の正午には、時間が停止したかのようにすべてが動きをやめ、静かに黙禱をささげることが国民の当然の義務であった。戦死者たちが静かに流す見えない涙と、声には聞こえない無言の思いを生者たちは聞き取ろうとしていた。8月15日は、戦死者たちがそれぞれの家や故郷へ帰ってくる特別の時間なのである。私が子供の頃には、この日は、死んだ日本人の魂の慟哭とその慰撫と切り離せないという雰囲気がまだあった。その意味において、大東亜戦争の敗北とは、膨大な数の日本人の魂が行き場を失いかねない、日本人の精神の壮大な敗北なのであり、8月15日の祖霊供養だけが、かろうじてその魂の彷徨を受けとめていたのである。
死者の声より夏のレジャー…
これは決して比喩的ないい方ではない。実際、戦後、神道も仏教もせいぜい宗教法人としての場所しか与えられず、祖霊信仰などという日本の古来の宗教的習俗は、少なくとも公式的には生き残る場所を奪われてしまったのである。言い換えれば、死者の行く場所は公にはなくなり、生者と死者が改めて出会う場所もなくなってしまった。
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