2023/10/19
(最終更新:)
勝者は「キング・オブ・アスリート」と称される陸上の十種競技。2日間で100m、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400m、110mH、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500mと「走・跳・投」の計10種目を行って合計の得点を競い合う。そんな過酷な競技を同世代の第一人者として引っ張ってきたのが、立命館大学の川元莉々輝(りりき、4年、滝川第二)だ。
自己ベスト記録は7286点。大学4年間で日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)連覇、関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)2回優勝など、多くのタイトルを獲得した。また、競技成績のみならず、学業や大学スポーツの盛り上げなどで成果をあげた運動部学生などを表彰する「UNIVAS AWARDS2022-2023」マン・オブ・ザ・イヤーの優秀賞に選出されるなど、勉学にも力を注いでいる。
突出して得意・不得意な種目がないのが強み
幼少期から、体操、水泳、野球、バレーボールなど、様々な競技に取り組んできた。姉の影響でダンスを習った経験もある。
「全部やめたかったんですよ。水泳は3年間泣きながら行っていましたし、バレーボールは女の子集団の中で一人いじけながらやっていました(笑)。ダンスなんてお姉ちゃんに付き合わされて嫌々で」と苦笑する。「でも、いろいろやっていたことが、結果的に今こうして複合種目をやることにつながっているかもしれないです」。
そんな彼が全力で楽しんで取り組んだのが、中学校の部活動で入部した陸上競技だ。「陸上だけはうまいことハマりました。練習したことが自分に100%返ってくるところが好きですね」と、その魅力を笑顔で語った。
最初は走り高跳びをやりたかったという川元。中学時代に顧問の先生の勧めで四種競技を始めた。「その後は、なんかもう自動的に種目が増えていった感じで(笑)。突出して得意、不得意な種目がないので、どの種目も満遍なく高得点を出せることができます。それが僕の強みですね」と分析する。
大学2年での日本インカレ優勝がプレッシャーに
今では「十種競技インカレチャンピオン」として知られている川元だが、立命館大学入学時はここまでの飛躍を予想していなかったという。
「4年生で日本インカレ優勝することを目標に、2年、3年と段階を踏んでいけばよいかと思っていました。1年目はコロナ禍やけがで苦しい時もありましたが、何よりタイトルを何も持っていなかったので、楽しんで練習していました。まさか自分が3連覇を狙う立場になるなんて思ってもいませんでした」
転機は大学2年時、2021年9月の日本インカレ。本人が「一番驚いた」と語るほど「意外」な初タイトル獲得だった。「めちゃくちゃうれしかったんですが、本当に驚いて……。1年目の冬季練習を人よりも積んだ分、一気に力がついたんだと思います。ストレスもプレッシャーもなく楽しめたのが勝因かな」
しかし、全国区で戦えるという確信と同時に、川元には「ディフェンディングチャンピオン」としてのプレッシャーが重くのしかかることになる。「『連覇』の2文字が常に頭にあって、記録よりも、なんとしても優勝しなあかんと思っていました」。
翌22年5月の関西インカレで敗れたこともあり、大学3年の夏休みはひたすら練習に没頭する日々を過ごした。「夜はすぐ寝て、友達の誘いも全部断って。陸上一本で死ぬ気で練習していました」と当時を振り返った。
その結果、見事に22年9月の日本インカレで連覇を達成した。
「連覇はできたんですが、調子は良くなかったんです。あんなに練習したのにこんな記録かよって。そして何より、あの時は陸上が全然楽しくありませんでした。だから、ラストシーズンは初心に戻って、楽しんで陸上に取り組もうと決めました」
3連覇は逃したが「大好きなチームで戦えて幸せ」
日本インカレが終了したタイミングで、川元は新チームの主将に就任した。「僕は部員みんなとコミュニケーションを取るタイプではなかったので、結果でチームを引っ張ろうと思いました」。背中で引っ張る頼もしいキャプテン。その原動力となったのは、共にチームを支える同期の存在だ。
「僕たちの代は男女共に仲が良く、パート間や学年間で連携が取れる結束力が高いチームだったと胸を張って言えます。チーム全員が同じ方向を向いて取り組めている。全力で陸上を楽しんでいる。そんな感覚がありました」。
今年5月の関西インカレでは、男女そろっての総合優勝を目指してチームが結束。声出し応援では、チームの応援歌をつくって雰囲気を盛り上げた。
そして迎えた最後の日本インカレ。大好きなチームの集大成となる大会で、川元は3連覇に挑んだ。競技1日目の9月15日、第一種目の100mを首位で走り、その後の種目でも高得点を出して首位をキープした。幸先良いスタートかと思われたが、5種目目の400mで右脚のハムストリングを痛めるまさかのアクシデント。競技続行もままならない状況になってしまった。
「正直、競技を続けるつもりはなかったんです。優勝以外なんの価値もないと思っていました。今でもそう思っています。ですが、同種目の後輩に背中を押してもらい、またたくさんの人が応援に駆けつけてくれたので最後までやろうと思いました」
翌16日、6種目目の110mHは棄権したが、できる範囲で競技を続行した。最終種目の1500mは、仲間の声援を受けて最後まで走り切り、主将としてグラウンドに立ち切った。「最後の日本インカレに良い思い出はないです。でも、終わってからいろいろな人に『感動したよ』と言ってもらい、お世辞でもそう言ってもらえるならやってよかったと思います。大好きなチームで戦えて幸せでした」と言葉を詰まらせた。
川元は、結果よりも大切なものをチームに残したに違いない。
十種競技は「試合中バチバチでも絶対に仲良くなる」
栄冠とともに苦しい思いもたくさん経験した。川元に大学4年間について聞くと「めっちゃ楽しかったです!!」と一言。充実の表情を見せた。
大学卒業後も競技を続けていく予定だ。
「十種競技は、試合中どんなにバチバチしていても終わったら絶対に仲良くなります。そこはずっと素敵やなあと思っています。また、競技が長い分、応援してくれる人に長く楽しんでもらえる。競技している側はメンタル、集中力を保つのが大変ですけれど、もっと見せ場を作れるように頑張りたい。自分のスタイルで楽しんで、これからも競技に取り組んでいきたいと思います」
新生活の青写真はまだ真っ白だ。しかし川元なら、きっとどんな色にでも描けるだろう。
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