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Friday, November 24, 2023

中野 4人殺害された事件から半年 被害者の友人・遺族の思い|NHK ... - nhk.or.jp

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中野市で女性2人と警察官2人の4人が殺害された事件から25日で半年を迎えます。
亡くなった警察官の1人、池内卓夫さんと親交が深かった元警察官の男性が胸の内を語りました。

ことし5月25日、長野県中野市江部で散歩中だった竹内※やす子さん(70)と村上幸枝さん(66)がナイフで刺され、その後通報を受けて駆けつけた中野警察署の警察官の池内卓夫さん(61)と玉井良樹さん(46)が猟銃などで殺害されました。
この事件で逮捕された近くに住む青木政憲被告(32)は精神鑑定などの結果「刑事責任能力はある」と判断され、11月16日、4人に対する殺人の罪などで起訴されました。
殉職した池内さんは県警の音楽隊に所属し、主にドラムの演奏を担当していました。
およそ40年にわたって親交を続けてきた音楽隊の元楽長、丸山栄三さんは、「口数は多くないが礼儀正しく気遣いのできる人だった」と振り返ります。
一足先に定年で音楽隊を卒業した丸山さんは、池内さんからプレゼントされたドラムの「スティック」を今も大切に保管しています。
練習熱心だったという池内さんと再びOBのバンドで一緒に演奏する日を楽しみにしていましたがそれはかないませんでした。
事件から半年がたとうするなか、丸山さんは、「私にとっては一生の中でも大きな事件で、池内さんを亡くしてしまったことがすごくつらい。社会として忘れず同じような事件が2度と起きないことを祈っている」と話していました。
青木被告の起訴を受けて、殺害された村上幸枝さんと竹内※やす子さんの遺族が弁護士を通じてコメントを発表しました。
全文を紹介します。
村上さんの遺族のコメント「5月25日の午後4時頃、大切な家族が突然、無惨な形で命を奪われました。いつものように友人と楽しくウォーキングしていたところ、刃物を持った見知らぬ男にいきなり襲われました。何の罪もないのに、体を貫通するほどの強い力で、何度も何度も刺されました。恐怖でたまらなかったことでしょう。怖くて苦しくて、どれだけ痛かったことか。なぜ襲われなければならなかったのか?事情も分からないまま亡くなりました。私たち遺族も、その状況を想像するだけで胸が張り裂けそうです。大切な家族を突然失い、私たちの生活は一変しました。こんな事になるなんて、考えたこともありませんでした。ムードメーカーの妻・母がいつも家族の中心にいる、そんな平凡で幸せな毎日がこの先もずっと続くのだと当たり前に思っていたのに・・・家族みんなで食卓を囲み笑い合うことも、生き生きと趣味を楽しむ姿を見ることも、あの笑顔に会うことも、もう叶いません。どんなに願っても、妻・母が私たちの元に帰って来ることは、もうありません。11月25日で事件から半年が経ちます。時間だけが無情に過ぎていく一方で、私たちの気持ちは一歩も前に進むことはなく、会いたくて、会いたくて、涙が溢れ止まらなくなることがあります。できることなら、事件前の平穏だったあの頃に戻りたい。せめて一度でもいいから会いたい。でも、もうそれも叶いません。私たち遺族の心の傷は癒えるどころか、大切な家族の命を奪った被告人への怒りや憎しみは増すばかりです。どんな言い訳を並べようと、絶対に許すことはできません。被告人には、極刑をもって罪を償って欲しい。大切な家族がもう戻ってこない以上、最大限の法律で裁いて欲しい。そして、二度とこの様な悲惨な事件が起こることのないよう、原因究明とともに裁判では被害者及び遺族の納得のいく判決を望みます。それが、せめてもの救いです。切に願います。令和5年11月16日村上幸枝遺族一同」竹内さんの遺族のコメント「事件から既に半年が経ち、やっと刑事裁判を開くことが決まりました。妻・母は刃物で何か所も切られ、刺され、骨の一部が地面に落ちていたほど残忍な死を犯人から受けました。さらに立て籠もり現場のすぐそばで斃れていた為、半日以上その場に晒されていたのは耐え難いことです。裁判では何故妻・母を殺害したのか?何故妻・母の友人村上幸枝さんを殺したのか?警察官の池内卓夫さん・玉井良樹さんが駆け付けた際、何故投降せずに殺害したのか?どんな考えだったのかそれを知りたい。そして事件の責任を取って欲しいです。5月25日の事件発生時、いつもの散歩で出かける妻・母を見たのが最後でした。事件発生時、散歩から帰ってこず警察にその旨を伝えても一向に行方がわからず、眠れない夜を家族は過ごしました。翌早朝、警察から妻・母に似た人物を引き上げたので確認してほしいとの連絡が入り、警察署に行きました。妻・母を確認するまでの間『まさか』と『人違いだろう』と頭の中が混沌とした中で遺体と対面しました。その後は妻・母の遺体を引き取ってからも突然過ぎて葬儀や役所に死亡届を提出しても本当の事なのだろうか何か間違いであってほしいとも思いましたが、日々を送る中、妻・母の友人らが手を合わせにきてくれると段々受け入れてくる次第です。朝起きれば朝食が用意されており一緒に食べ、畑に一緒に行って作物を作ったりしていました。何気ない日々でしたがこのような形で妻・母を失い何気ない日々がとても幸せだったと思います。父はコロナ禍の前に病気をし、旅行など出かけることが出来ませんでした。病気の方も良くなり、コロナの自粛も緩和されたので今年は旅行行こうかと母が言っていました。父も楽しみにしていましたが二度とかなうことはありません。今でも妻・母は長期の入院で病院にいるので家にいないのだと錯覚を起こすこともあります。最後に、私たち家族は今でも妻・母を失った喪失感と悲しみの中にあります。私たちの心情をお察しいただき、静かに見守っておいていただけますと幸いです。令和5年11月16日竹内※やす子遺族一同」※やすは「靖」の月が円

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