7万トンの漁獲量が10分の1以下に
東日本大震災の発生から4カ月後、岩手県宮古市田老でがれきの中から1匹の傷だらけになったサケのモニュメントが見つかった。 かつて、サケの遡上で本州一を記念して公園に飾られていたものだった。 津波に流されても漁師たちの元へと“帰ってくる”その姿は、勇気をもたらした。 地元の漁師(2011年): よく見つかったな、たまげた(驚いた)。今年もサケは戻ってくると信じている 岩手県の魚にも制定されているサケは、本州一の水揚げを誇る。 サケは川で生まれたあと、5000kmほど離れた北の海で4年ほど過ごしたのち、においなどを頼りにふるさとの川へと戻ってくる。オスとメスがペアを作って産卵し、命をつなぐのだ。 宮古市の津軽石川は、かつて本州一遡上する川として知られ、網にサケを追い込む伝統的な漁は冬の風物詩となっている。 岩手とサケにとってのこの30年は、大きく波が変化する激動の時間だった。 県水産技術センター・大友俊武 漁業資源部長: (30年ほど前は)放流数の増大でサケがどんどん増えていき、平成8年には2400万尾のサケが帰っている 今から20年前の定置網漁では、網から湧き上がるようにサケがとれた。 平成の時代、放流数が増えるにしたがい漁獲量も好調で、1996年(平成8年)には7万トンと過去最多を記録した。しかしその後、事態は一変する。 2010年から漁獲量が急激に減少、その翌年には東日本大震災が発生してふ化場が被災。放流が十分にできなかったことも重なり、不漁は深刻さを増していく。2020年度は、震災前の10分の1以下の1700トンほどまで落ち込んだ。 原因のひとつとみられるのが、海水温の上昇。温暖化の影響とも言われているが、海に出たサケの稚魚がうまく育たず死んでしまうという。 県水産技術センターでは高水温に強いサケの遺伝子を研究しているほか、人工ふ化させた稚魚の体を強くするため、栄養豊富なえさを与えるなどの取り組みをしているが、厳しい状況は当面続くとみられている。
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