「ウクライナ兵士の間で、精子を凍結する動きが少しずつ広がっている」
軍事侵攻が続くウクライナでこうした動きがあると、2023年に入ってから海外メディアが短い記事で伝えていました。
いったいどういうことなのか?
取材を進めると、戦時下で「選択」を迫られる人たちの姿がありました。
(World News部記者 古山彰子、カメラマン 松本弥希)
「夫は生きて戻ってこられないかもしれない」
「何も起きないことを祈っていますが、夫は前線にいて生きて戻ってこられないかもしれません。それでも、子どもを作って家族をつないでいきたいんです」
こう話すのは、ウクライナの首都キーウ郊外で暮らす、イリーナ・トカチュックさん(30)です。
夫のオレースさん(29)は兵士で、ウクライナ東部の前線に派遣されているため、今は離れて暮らしています。
通信アプリを使って、毎日のように連絡を取り合っていますが、日常的に電話やビデオ通話をするのは難しいといいます。
そんな2人は、オレースさんが2023年1月から前線に派遣されるのを前に、ある決断をしました。
それは、精子の凍結です。
「今できる選択」を
10年前から交際を続けてきたイリーナさんとオレースさん。5年前に結婚し、子どもがほしいと願ってきました。
しかし、2022年2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。
兵士のオレースさんは、いつ戦地に行くことになってもおかしくない状況に置かれたため、2人はあらゆる事態を想定して、将来のことを話し合いました。
戦地で命を落とすかもしれない。
無事に帰ってこられたとしても、けがをして障害を負っているかもしれない。
精神を病んでしまうかもしれない。
戦争が起きなければよかったのに。イリーナさんたちは、そう強く思う一方、現実を変えることができないのなら、「今できる選択」をしなければならないと、徐々に考えるようになっていったといいます。
そして2022年12月、オレースさんは前線に向かう前の休暇中にキーウ市内にあるクリニックを訪れ、精子を凍結しました。
「私たちが過ごすのは戦時下で、変えることはできません。だからといって、何もしないでいるべきでしょうか? 今できることをやるしかないんです。夫は戦場で私たちの国を守ってくれている。私は、これからのウクライナを担う子どもを残そうとしているんです」(イリーナさん)
兵士の間で増え続ける精子の凍結保存
イリーナさんの夫オレースさんのように、精子の凍結という選択をする兵士が、ウクライナで今、増えているといいます。
オレースさんが精子を凍結したキーウ市内のクリニックを訪れました。
施設を案内してくれたハリーナ・ストレルコ院長によると、ここには精子や受精卵が、マイナス200度近くで保管されているということです。
ミサイルなどの攻撃に備え、クリニックの中でも特に建物の奥深くにあり、最も安全だと考えられる部屋で保管されていました。
このクリニックはもともと不妊治療が専門で、軍事侵攻が始まる前から、国内外から集まった患者の精子や卵子を凍結保存してきました。
軍事侵攻が始まってからは、希望する兵士が無料で精子や卵子を凍結保存できる取り組みをはじめ、2023年7月時点で150人を超える兵士が凍結保存をしているということです。
「不幸にも戦死する場合もあれば、戦争から戻っても健康とは言えない場合もあります。それでも、凍結保存を行えば、自分たちの子どもを持つことができるかもしれません。家族を残すことが大切なのです。たとえ夫が戦死したとしても、完全にいなくなるわけではないと思えるからです」
人口が1割以上も減るとの見方も
クリニックが無料で兵士の精子や卵子の凍結を行うもう1つの背景には、軍事侵攻の長期化の影響で加速する恐れがある、人口減少です。
ウクライナは侵攻以前から出生率が1.2%(2020年)と低く、人口減少が続いていました。
それが、ウクライナ科学アカデミー人口・社会学研究所のエッラ・リバノバ所長によると、侵攻が始まった2022年の出生率は0.9%になると予測されるといいます。
さらに、2023年は0.7%となり、この水準は侵攻が終わるまで毎年続くと推測しています。
そして研究所は、現在4000万人余りいる人口が、2030年には10%以上減り3500万人にまで減少すると推計。
リバノバ所長は、ロシアによる軍事侵攻がウクライナの人口減少に拍車をかけている現状に、強い懸念を示しています。
「移住した人たちが移住先の環境に慣れ親しむ一方で、ウクライナの経済やインフラはロシアによって破壊されてしまっています。戦争が長引けば長引くほど、ウクライナに戻ってくる人は少なくなるのです」
取材を終えて
今回取材したクリニックは無料で精子や卵子の凍結を行っていましたが、国からの補助などはなく、費用はすべてクリニックが負担していると話していました。
院長にその理由を尋ねると「ウクライナが深刻な人口問題に直面する中で、兵士の精子や卵子の凍結は、微力かもしれませんが、問題を克服する助けになるかもしれないからです」と説明してくれました。
また、精子や卵子を凍結するのは結婚している兵士だけでなく、パートナーのいない若い男性兵士がクリニックを訪れることも少なくないということです。
たとえ戦地から無事に帰ることができても、後遺症などによって生殖機能を失うのではないかと不安を抱える兵士が多くいるのだといいます。
軍事侵攻は、戦闘の最前線にいる兵士だけでなく、その家族の未来を奪い、国の形すら変えようとしています。
私たちの取材に応じてくれたイリーナさんも、「夫にもしものことがあったら、いや、無いと願っているけれど」と何度も前置きをしながら、精子凍結を決意した心の内を語ってくれました。
そんなイリーナさんの姿を目の当たりにし、どれほどの不安や葛藤を抱えながら日々暮らしているのだろうかと想像すると、こちらまで胸が張り裂けそうになりました。
戦時下での暮らしを余儀なくされる人たちが抱える問題を、私たちはこれからも取材し、伝えていきます。
からの記事と詳細 ( 夫の命が、明日奪われても… 戦時下の「精子凍結」という選択 | NHK - nhk.or.jp )
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