「まだこれからも代表でプレーし続ける若手に頭に入れておいてほしい。僕たちには他の国にできないことができるんだ。オールブラックスにさえできないことが僕たちにはできるんだ。でも些細なミスがテストマッチでは失点につながる。1メートル詰め過ぎたり、うまくジャッカルできなかったり、8人で組むべきスクラムを7人で組んでしまったり。僕たちの時代はもう終わった。これから僕は君たちの第1のサポーターだ。ミスをなくせ。そしてラグビーをしろ。みんなには才能がある。もっとラグビーできる」
2019年ワールドカップ(以下、W杯)準々決勝でウエールズに敗退した後のロッカールームだった。
当時のフランス代表キャプテン、ギレム・ギラドの最後のスピーチだ。
「代表選手とは与えて与えて与え続けなければならない。常にみんなのお手本でなければならない。僕はみんなを代表するキャプテンであることを誇りに思う」
優しい穏やかな口調だった。
そのギラド(モンペリエ)は、今シーズンを最後に現役引退することを表明している。
「闘うキャプテン」と言われるように闘志あるプレーでチームをリードした。2018年シックスネーションズのアイルランド戦でのギラドのタックル数31は、ウエールズのLOルーク・チャータリスと並んで今も最多記録である。
初めて代表に選ばれたのは2008年。現在代表チームのスクラムコーチであるウィリアム・セルヴァットやディミトリー・スザルゼウスキーの存在により、なかなか出番が回ってこなかった。
2010年のシックスネーションズでのグランドスラムはテレビで観た。2011年のW杯は3番手のHOとして参加。プールマッチのカナダ戦に出場し、決勝はスタンドから観ていた。
セルヴァットが引退し、ギラドも少しずつコーチの信頼を獲得した。2番をつけて試合に出る機会が増えた。しかし代表チームの成績は低迷し続けた。
2015年W杯後、新しく着任したギィ・ノヴェスHCからキャプテンに任命された。
「ギィのおかげでキャプテンとして成長することができた。彼がキャプテンの役目を果たすために必要な自信を与えてくれた」と代表引退後に語っている。
波瀾万丈の4年が始まる。
フランス協会の会長が代わり、代表チームのHCが代わり、スタッフも代わった。
「試合のパフォーマンスの前に、チームの状況をなんとかしなければならなかった」と振り返る。
その時代の代表チームには所属クラブ、またはユース代表でキャプテン経験者もいなかったし、リーダー格の選手も少なかった。
そして多くの敗戦は最後の10分で逆転されて負けたもので、ギラドはすでに交代した後でベンチから見守るしかできなかった。
「リーグでは海外のスター選手が活躍し、若いフランス人の選手が育たなかった犠牲になった世代」とフィリップ・サンタンドレ元フランス代表HCは言う。
「勝ち誇れる成績は残せなかったけど、フランス代表チームでプレーできたことを誇りに思う」とギラドは言う。
「キャリアとは数々のステップの連続」と言うギラドのキャリアは、2006年にU21の世界大会で優勝した年にペルピニャンでプロデビューして始まった。
2009年に同クラブでトップ14優勝。2014年に当時は銀河系軍団と言われていたトゥーロンに移籍し、その年トゥーロンは3度目のヨーロッパチャンピオンに輝いた。
2019年W杯後、トゥーロンからモンペリエに移籍。心機一転のはずが最初の試合で肩を負傷し、また、新型コロナウイルスの影響でリーグも中止になり次のシーズンまで待たねばならなかった。
満を持して臨んだ2020/2021シーズン、モンペリエは降格の危機まで追い詰められる。しかしそこから復活し、ヨーロピアン・チャレンジカップで優勝。ギラドも26試合に出場、プレー時間は1300分を超えた。
現役最後のシーズンになる今季は確実に勝ち点を積み重ね現在モンペリエは首位。先週は古巣のペルピニャンに8年ぶりに帰還し、最初で最後の対戦となった。
「カレンダーに印をつけてこの日をずっと楽しみにしていた。ここで育ててもらった。ラグビーだけではなく人として大切なことも多く学んだ。このチームに憧れてプロになることを夢見ていた」
1人先にグラウンドに入場しペルピニャンのサポーターに大きな拍手で迎えられた。スタンドにはかつてのチームメイトやコーチの姿が見えた。
また一つのステップを終えた。
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