2018年の西日本豪雨で被災し、4年5か月間、仮設住宅などで生活した坂町の三浦千穂さん(47)は、昨年12月、自宅に戻り、家族4人で新生活を送っている。「やっと戻ってくることができた。生まれ育った場所での生活は安心する」。ようやく取り戻した被災前の日常に、幸せをかみしめている。(宮山颯太)
坂町坂地区で暮らしていた三浦さん一家は5年前の7月6日、避難し、家族は無事だったが、自宅裏の山から土石流が発生。翌日、千穂さんと夫・弘さん(48)は、窓ガラスを突き破り、1階が大量の土砂で埋まった我が家を目の当たりにし、ぼう然と立ち尽くした。自宅は大規模半壊と判定され、「この家には戻ることができない」。涙が止まらなかった。
被災後は3か所の仮設住宅を含め、坂町内で5か所の仮住まいを経験した。被災直後は長女の友人宅、叔母の自宅に身を寄せた。リビングと4畳半のスペースが二つの仮設住宅で、こたつ机を囲み、三つの布団で4人が肩を当てながら寝ていた。風呂やトイレ以外の仕切りはカーテンのみ。弘さんは「当時、小学3年と中学2年だった2人の娘に、ストレスがたまる生活を送らせてしまった」と振り返る。
長女(18)の高校、大学と2度の受験も家族全員で協力して、乗り越えた。弘さんは「小さな仮設住宅での暮らしは、家族の距離を縮めてくれた」と笑みを浮かべる。
昨年6月、被災した自宅の上流約200メートルに建設された砂防ダムが完成。自宅周辺の道や川の護岸舗装も進み、ハード面の設備が整った。今後も住み続けることを考えて自宅をリフォームすることを決めた。
12月10日、被災後に支援を続けてくれていたボランティアの人たちも駆けつけ、海沿いの仮設住宅からの引っ越しを手伝ってくれた。千穂さんは「被災から1619日目にして、やっと自宅に戻れた。最後までボランティアや友人のお陰で乗り越えられた」と振り返る。
新しい自宅では、アイランドキッチンの横に、家族4人がちょうど収まるほどの小さいテーブルを置いた。被災前、4人そろってご飯を食べる機会は少なかったが、「今は、全員が自然にこのテーブルに集まる。食事の後も4人で話したりテレビを見たり、笑顔が絶えない」と千穂さん。弘さんは「自宅に戻ってくるまでは長く感じたが、家族の絆が十分に深まった」と話す。千穂さんは「やっぱり、自分の家っていいね」。何度も繰り返した。
県が整備した仮設住宅には延べ1350世帯が暮らしていた。今年2月、最後の1世帯の退去が完了し、県内にある仮設住宅の全てが解消された。
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